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ブレストキャンサーEXPO実行委員会 
メンバーの各々の物語

河野一子

キャンサーギフト 代表

NPO法人乳がん

サポートグループVOICE 理事

 25年前、私は44歳で乳がんに罹患しました。当時は情報が乏しく、がん=死のイメージが強くありました。家族の支えを頼りに治療に臨みましたが、それでも不安と孤独に満ちた日々でした。その経験から、同じような不安や孤独で苦しむ患者を支えたいと思い、乳がん患者会を設立し、NPO法人を経て、現在は乳がんアドバイザーとして活動しています。

 乳がん治療はこの25年で大きく進歩し、新しい治療法や薬が開発されましたが、患者たちの不安は解消されていない現実があります。今回のブレストキャンサーEXPOでは、最新医療や患者サポートの仕組み、仲間や医療者との結びつきなど、多岐にわたる情報や展示を通じて、患者の不安を軽減し、必要な情報を得ることができます。あの告知を受けた日の私が、参加したいと思えるようなイベントです。私も患者の皆さまと共に、イベントを通じて学び、楽しんで、繋がりたいと思います。皆様のご参加をお待ちしております。

石井浩子

NPO法人いきいき和歌山がんサポート 副理事長

岸和田市民病院乳がん患者会カーネーション 会長

仲間に会いに来ませんか?

 

 2004年に気軽に受けた人間ドックで両方の乳がんと診断されました。主治医に「これからの患者さんは、がんの勉強をして一緒に治療して行きましょう」と言われました。その後、病院で患者会を作ることになり 、2005年に乳がん患者会を設立しました。20年前は現在のようにネット情報が豊富でなかった時代ですので、患者さんがたくさん集まりました。 勉強会やレクリエーションなどを企画し、「正しい医療情報」と「何でも話せる仲間」が大切だと痛感しました。

 その後、2010年に全部位のがん患者をサポートする、「特定非営利活動法人いきいき和歌山がんサポート」を主治医と一緒に立ち上げました。 活動の一つですが、患者が患者をサポートする「ピアサポーター養成講座」を実施しました。同じ病気を体験した患者が傾聴や共感を通して病気を一緒に乗り越えて行く活動です。当日はがん患者サロンのブースにおりますのでぜひ会いにきてください。

小松久美子

公立那賀病院内 

乳がん患者会チェリーの会 代表

 

NPO法人いきいき和歌山がんサポート 理事

 異時性両側乳がんで、初発の術後24年です。

 患者会に参加するまでは、他の知人との間に線が引かれているような孤独を感じていましたが、たくさんの仲間に出会ったことで気持ちが楽になりました。患者会で出会った1年先輩の方が富士山に登るときいて、1年でそんなに回復するのかと驚きました。当時私は放射線治療でふらふらになっていて体力が戻るのか不安になっていたのですが、勇気づけられました。乳がん術後間もない方、治療中の方、先輩に会いに来ませんか。このイベントではがんサロンコーナーなど、患者同士の交流の場があります。

 EXPO2025のメインテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」です。サバイバーである乳がん患者の未来を共に考える機会としたいと思います。術後10年以上や治療の終わっている方、治療中の方のご来場もお待ちしています。

奥和久

「先生ね、本当の専門家なら自分のフィールドではなく相手のフィールドで闘うもんですよ」。

 真っ白な雪が深々と積もる山荘。初老の弁護士さんはベッドに横たわりながら駆け出し在宅医師の僕に語ってくれました。彼は末期の胃がんと宣告され、静かに最期を迎えようと 山荘にきていました。

 この日から、疾患や障害、また検査や治療の話は一旦横に置くことにしました。まずはなにより"あなた"がどう感じているかを聴いて、観ることを心がけるようになりました。

「それが出来るようになれば楽になるんですよ。だってこっちは研ぎ澄ました刀をまだ懐にいれてるからね」

 刀の代わりに絆創膏と少しの薬を懐に入れて今日もあなたとお話します。

吉澤昌子

EXPOにむけて

 看護師として、外来でがん看護(化学療法、放射線治療)に携わってきました。

「泣きたいのに。家では、家族の前では泣けない」と、外来の隅っこへ一緒に行って涙したこと。「保育園に来ないで、ママの頭、見られたないねん。と言われショックやった」と泣きながら話してくださった方。「リンパ浮腫が怖いわ、可愛い孫を抱っこでけへん」と悲しい顔で話してくださった方。

 患者と看護師という関係でしたが、お互いを「戦友」と呼び合い手術や治療、外来通院を共に歩んできました。「戦友」と悲しみや悔しさ、孤独、喜びや安堵いろんな感情を共有しました。「戦友」から、あなたの役割は【ひとりじゃない】を伝えることと言われました。 

 私の家庭の事情で、離職することになった時に「戦友」からは【離れていても、気持ちは繋がってるから大丈夫】と言われ、支えているようで、実は支えてもらっていたのは私の方だったと気付かされました。

 コロナ禍で施設クラスターを経験し奥先生(KISA2隊)の支援を受けました。その縁で、医療法人ぼちぼち会おく内科・在宅クリニックのスタッフに加わりました。

「病気のみならず健康を、患者様のみならず家族の皆様を、医療のみならず地域づくりを」を合言葉に【日々ぼちぼち生きる】を伴走するクリニックで働いています。

 このEXPOを通して【ひとりじゃない】を感じて、いただきたいです。

高野春枝

おく内科・在宅クリニック 診療情報管理士

 医師でも看護師でもない私だから気づけること、できること、がきっとある。 長らく、患者さんや医師、看護師の側で仕事をしてきた私が自分の役割として常に考えていることです。

 ここ10年ほどは患者さんの側を離れ研究機関で臨床研究のお手伝いや新薬に関する仕事をしておりました。すぐには結果が出ないことでもその先には生きるための新しい治療法を待っている患者さんがいる。そのために自分が出来ることを精一杯やってきましたが、コロナ禍となりKISA2隊大阪のお手伝いを通して奥先生と出会い、現在はおく内科・在宅でクリニックの一員として再び患者さんの側で仕事をさせていただいております。 がん治療や医療の情報は正しくないものも世の中に溢れています。

 ブレストキャンサーEXPOには最新の確かな医療情報があり、共に生きる仲間がいることを体感できる場です。 皆様の来場をお待ちしております。

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